海の男にはラム酒が必需品

『パイレーツ・オブ・カリビアン』でイギリスで大ラムブームが巻き起こりましたが、ラム酒を海兵に支給していたイギリス海軍では船の上で限られた食料で航海する中で、食料が無くなるよりもラム酒が切れることを何よりも怖れていたということから、ラムはぐったりしてしまったときにも気付け薬な役割を果たしていたのでしょう。適量のアルコールはまさに薬を実践していたわけですね~

ラム酒はラムの色によって分類されるほかにも、製法や風味でも分類されています。そして香りの強さでも分類されているので単に「ラム酒」といっても「ホワイト?ミディアム?」などなどいろんな種類があるんですね~イギリスで『パイレーツ・オブ・カリビアン』の大ヒットで爆発的に消費が増えたのは「ダーク・ラム」です。風味も香りもホワイトなどに比べると強い傾向になるラム酒です。

ラムにまつまるお話

イギリス人はラム酒を「憩いの水」といいますが、憩いの水とまで大げさに呼ぶほどまでに単なるラム酒ではない、いわば「ラム酒・愛」を感じてしまう呼び方には理由があるようです。「ラム酒・愛」の意味が込められているのには、あるエピソードがあります。このエピソードも船乗りに関連したエピソードであります。

嵐の夜・・

バニュダ諸島は北大西洋にある諸島でイギリスの海外領土です。1500年代の初期の段階でヨーロッパ人によって発見されました。1511年にはすでにスペインの海図にバミューダ諸島の存在を確認することができますが、発見されてから長い間入植者もいなかったので無人島でした。

1609年のことです。イギリスから北アメリカのバージニア植民地へ向けてイギリス人入植者を乗せた8隻の船が、バミューダ沖で嵐に巻き込まれました。嵐の中に巻き込まれれば、恐怖を感じて当たり前ですが8隻の船の中の1隻が仲間の船とはぐれしまってしまいました。はぐれた船はジョージ・ソマーズ船長が率いる130人を乗せたシー・ベンチャー号です。そしてシー・ベンチャー号はバミューダのリーフに難破してしまい、乗員と乗客はそのままこの島に定住することになりした。

そしてどの船に乗船していたからは不明ですが、ジョージ・サマーという男もこの年にバミューダ島に向かって乗船していました。ところがやはり同じくハリケーンに遭ったため船が難破しそうになりました。もちろん船の乗組員は難破の恐怖=死の恐怖に直面して、恐怖心と戦うことになりましたがそこで「ラム」の登場です。「ラム酒」を飲んで死の恐怖に脅えることなく、心の平穏を保ったことから「ラム酒」は「憩いの水」と呼ばれるようになりました。

難破したシー・ベンチャー号の乗客たちはどうなったのでしょう?!嵐がおさまって天候が回復してくると、思った以上に暖かく温暖な過ごしやすい島ということがわかり、元気と気力を取戻した乗員と乗客たちは、自分たちで島の木を切って、難波したシー・ベンチャー号から計器を取り出して、2隻の船を造ります。そして2隻の船に乗り、再び北アメリカのバージニア植民地へ向けて出航しました。

この難破を機会にバミューダの島に感心を持ったジョージ・ソマーズ船長を中心とした60人を初めとしたイギリス人が、バミューダ諸島への入植が始まり1684年に正式にバミューダ諸島はイギリスの植民地になっています。

『英国は各員がその義務を尽くすことを期待する』

イギリス国民に多大な影響を与えたこの言葉『英国は各員がその義務を尽くすことを期待する』 England expects that every man will do his duty.はネルソン提督がトラファルガー海戦のときに、海戦を目前にしてフランス・スペイン連合艦隊を撃破するため、イギリス艦隊を鼓舞するために掲げた信号文です。

フランス・スペインの連合艦隊は数の上で、イギリス海軍を上回っていました。ネルソン提督の乗ったイギリス艦隊は「ヴィクトリー」を旗艦とした27隻で、連合艦隊は「ビューサントル」を旗艦とした33隻でしえた。そこでネルソン提督は、敵の隊列を分断するための作戦、ネウソン・タッチとう戦法を使い、2列の縦隊で突っ込んで行くとい戦法です。

ネルソンの計画に従い、午前11時45分に戦いが開始されましたがイギリス艦隊を鼓舞するために掲げた信号文の『英国は各員がその義務を尽くすことを期待する』が掲げられて、各艦では歓声が挙がったとされています。

激戦の末にフランス・スペイン連合艦隊はヴィルヌーヴ提督も捕虜となり、撃沈1隻、捕獲破壊18隻、戦死者は4,000人、捕虜に7,000人という被害となりました。一方のイギリス艦隊の方はどうだったのかというと、喪失艦0、戦死者は400人、戦傷1,200人という被害で済みましたが、旗艦ヴィクトリーで指揮を執っていたネルソン提督は、フランス艦ルドゥタブルの狙撃兵の銃弾に倒れることになりました。おそらく切り込み突撃に備えて射撃していた海兵隊の視界に、たまたまネルソンの姿が偶然入って狙撃されたものだと思われています。ネルソンの最後の言葉は「神に感謝する。私は義務を果たした」と言い残して絶息しました。

ネルソンの血

1805年10月21日、スペインのトラファルガル岬の沖で行われたトラファルガー海戦は、ナポレオン戦争においての最大の海戦で、数の上では連合軍に不利だったイギリス海軍は、この戦いで勝利を収めたことで、ナポレオン1世のイギリス本土上陸の野望を打ち砕きました。イギリスにとってはナポレオンのイギリス侵攻を防いだ大勝利で、一方のフランスにとっては数の上では圧倒的有利だタコともあるためまさかの敗北はかなりのショックです。そのため今でもありえない敗北の衝撃を表現する言葉に「トラファルガー」と言うほどです。

旗艦ヴィクトリーで絶息したネルソンの遺体は、腐敗を防ぐために樽に入れられてラムに漬けられてイギリス本国まで運ばれました。なんでも偉大なネルソンにあやかろうとした船員たちが、ネルソンの遺体が入っている樽のラム酒を本国に到着するまでに盗みのみして帰国した時には、樽のラムは空っぽになっていたといわれいます。実際にはイギリス本国に到着してから、ラム酒を飲んだといわれていますが、ネルソンの遺体を保存するためにラム酒を使ったということからラム酒のことを『ネルソンの血』と言われています。

今でもイギリスではネルソン提督は英雄です。トラファルガーの海戦で亡くなった翌年には君主以外で初めての国葬としてセント・ポール大聖堂に葬られて、ロンドンにあるトラファルガー広場の中心にネルソン記念柱が業績を記念するために建造されています。ネルソン記念柱は高さ5.5mのネルソン像が頂上に据えられていて、ネルソン像の向いている方向はフランスの方角です。死んでも今もネルソンが目を光らせているという記念碑になっています。